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堤真一の父は軍隊出身で母は小料理屋の女将!両親のエピソードをまとめました

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俳優界の第一線で活躍している、堤真一さん。『やまとなでしこ』『ALWAYS 三丁目の夕日』などでブレイクし、それ以降多数の作品に出演しています。

プライベートではパパでもある堤真一さんですが、一体どのような家庭で育ったのでしょうか?

今回は、堤真一さんの両親について、調査してみました!ぜひ、最後までご覧ください。

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堤真一の父は軍隊出身

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堤真一さんは、兵庫県西宮市出身です。普段は関西弁で話しているそうで、トーク番組では標準語と、使い分けているようですね。

ご両親とお姉さんの4人家族で生まれ育ち、父・靜雄さんは大正生まれで、軍隊に入っていたときもあったそうです。

堤真一さんは1964年生まれなので、お父さんは比較的晩婚だったようです。

祖父の次郎さんは熊本県の警察官だったそうで、旧黒肥地村や河俣村に駐在していました。

靜雄さんは、熊本県の農家で育ち、読書が大好きで、本を集めるのが趣味だったそうです。

外交官を目指したものの断念し、岐阜陸軍航空整備学校に進学し、陸軍で昇進を目指していました。

しかし、入校からわずか1年半で終戦となり、兵役を終えることとなります。

製鉄会社のサラリーマン

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父親は、警察官の息子らしく、とても真面目で寡黙な会社員だったそうです。

復員後は、神戸製鋼所に就職し、山手工場の溶接棒の制作部署で包装ラインを担当していました。

また勉強熱心で、仕事が終わった後は定時制学校に通い、24歳で兵庫県立武庫高等学院を卒業しています。

兵庫県は製鉄産業が盛んで、神戸製鋼や新日鉄の広畑製鉄所があります。

当時は、製鉄会社はエリートコースだったそうで、堤真一さんのお父さんはエリートサラリーマンだったようです。

家ではとても無口で、あまり声を聞くことがなかったといいます。

対照的に、母と姉は明るくて、おしゃべり好きだったそうですよ。

堤真一さんは、高校時代は野球部だったのですが、挫折したことで不登校となってしまい、父に「中退したい」と告げます。

そのときに「あんたのようなサラリーマンになりたくない」と、暴言を吐いてしまったのです。

すると父は「サラリーマンの苦しみがわからないなら、何をやっても同じ」と答えたそうです。

そして、なんとか高校を卒業し、アクションスターを目指しえ、京都の養成所に通い始めます。

ガンで他界

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すると同時期に、父に肺がんが見つかってしまいます。

堤真一さんは養成所で高く評価され、選抜クラスに入るために、東京の養成所に移ることとなりました。

病院にその報告をしにいくも、ずっとぶつかり合ってきたので、なかなか深い話をできなかったそうです。

堤真一さんが立ち去ろうとしたときに、突然父から大きな声で名前を呼ばれ、「元気でな」と言われたそうです。

堤真一さんは、父がもう長くないことを悟りますが、どうしても振り返れず、そのまま病室を出てから号泣したそうです。

そして、堤真一さんが20歳の頃に、父親は他界しています。

堤真一さんにとって、父親はとても偉大で、遠い存在だったようです。「もっと素直になっていれば」と、後悔したこともあったそうですよ。

堤真一の母は小料理屋の女将

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堤真一さんの母親は、とても料理が上手な方で、小料理屋を営んでいました。

実家がある、「浜甲子園団地」の自治会長を務めていたこともあるそうです。

80歳を超えてももとても元気で、「THE・大阪のおばちゃん」という見た目なんだとか。パンチパーマに、全身紫の服で出歩いていたそうですよ。

堤真一さんが子供の頃から、母親は紫の服を着続けているそうで、一緒に歩くのが恥ずかしいと思っていたそうです。

両親の出会い

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堤真一さんの父は、近畿大学通信教育学部に在籍し、働きながら勉強を続けていました。

真面目で勉強熱心だったのですが、唯一くつろげる時間は、お酒を飲んでいるときでした。

仕事帰りによく立ち寄っていたのが、「サザエ食堂」。そこで、看板娘の山下登美子さんと出会います。

靜雄さんは、料理上手で美しい登美子さんに惚れ、ラブレターを渡しました。

交際に発展した2人は、1962年に結婚しています。関西で2番目に大きい規模の「浜甲子園団地」の98号棟で暮らし、長女と長男に恵まれます。

静雄さんは大阪茨木市の工場で工場長になり、登美子さんは飲食店で働き、夫婦共働きをしていました。

登美子さんは、「関西のおばちゃん」として親しまれ、静雄さんは広島県西条市の工場に栄転が決まりましたが、堤真一さんは友人と別れるのを嫌がりました。

そこで静雄さんは、栄転を断ったそうです。自分も警察官の父が転勤が多かったことで、つらい思いをしていたので、息子の気持ちがわかったのです。

Youtube

その後、20歳で父の静雄さんはこの世を去っていますが、母の登美子さんは現在も健在です。

堤真一さん自身も、2児のお子さんを授かりましたが、90歳の母親も呼び寄せているようです。

《母を(実家の兵庫県から)東京に呼んだということもあって、実家は大きな仏壇だったんですけど、自宅には小さい仏壇を置いて、毎日、お線香をあげています》

Yahooニュース

堤真一さんが『A-Studio』に出演した際も、VTR出演した陽気なお母さんに、MCの笑福亭鶴瓶さんも大笑いしていました。

テレビ出演は、お母さんたっての希望だったそうですよ。

FLASH

元気いっぱいのお母さんですが、実は以前、脳梗塞で倒れており、うまく話せない時期もありました。

療養のため、東京へ連れてきて、子育てと並行して、介護もおこなっているようです。

ハードな生活を送っていますが、きっと明るく前向きな母の存在は、心の支えになっているのではないでしょうか。

くれぐれも無理はせずに過ごしてほしいですね。

姉は一般人でアメリカ在住

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堤真一さんのお姉さんは、「ギブス佐代子」さんということで、2023年現在はアメリカで生活しています。国際結婚をしたようですね。

お姉さんは、阪神が優勝した際に、甲子園球場でウグイス嬢を務めていたようです。実家は、甲子園球場まで1Km圏内という近さのようです。

ちなみに、堤真一さんは阪神タイガーズの大ファンで、2013年に「阪神vs広島」戦の始球式に登板しています。

まとめ

今回は、堤真一さんの両親について、調査しました!

堤真一さんのお父さんは元軍隊で、終戦後は製鉄会社で働くサラリーマンだったそうです。

母は小料理屋を営んでおり、美人で料理上手と評判だったそうですよ。

今後の情報にも注目ですね。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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