お笑いタレントの島崎俊郎さんが、急性心不全で亡くなったことが分かりました。享年68歳。
人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」などに出演し、「アダモちゃん」のキャラクターでお茶の間の人気者となりましたよね。
最近はあまりメディアで見かけませんでしたが、死因と関係があるのでしょうか?
今回は、島崎俊郎さんの死因が公表されない理由について、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。
島崎俊郎の死因が公表されない理由は!?
島崎俊郎さんの死因は、急性心不全と発表されています。
直近まで普段と変わらない様子で過ごしていたようで、突然の死に家族や関係者も驚いているので、まだ整理しきれていない様子ですね。
島崎俊郎さんは約1週間前から周囲に体調不良を訴えており、今月6日に帰らぬ人となってしまいました。
島崎俊郎さんはインフルエンザと診断されちえたそうで、死因の急性心不全との因果関係は不明です。
直前まで元気な様子だっただけに、68歳で急死というのは、ただ驚くばかりですね。
「急性心不全」とは、心臓の機能が急に止まってしまう状態を指します。
過度のストレスや、心筋梗塞、不整脈、弁膜症といった病気によって起きることが多いそうです。
また、冬場に起こることが多いそうで、寒い季節は要注意ということでした。
インフルエンザとの因果関係は不明なものの、肺炎などの呼吸器疾患になり、高熱で脱水症状を起こすと、心不全を起こすことがあるそうです。
島崎俊郎さんの公式ブログは、今年の9月4日が最後だったようですが、直近まで普通に仕事をこなしていたそうです。
島崎俊郎の最近の出演情報や仕事は?
島崎俊郎さんは、テレビリポーターや舞台、映画などの俳優業で活躍していました。
YOUTUBEを配信したり、自らのバンド「新橋烏森口バンド」を結成し、作詞作曲も行っていました。
公式ブログでは、美味しいご飯屋さんの紹介や、活動状況も頻繁にアップしていました。
全盛期に比べるとテレビ出演の回数は激減しており、その姿を見る機会は少なくなりましたよね。
俳優業については、2016年、NHK朝の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の本木正晴役が最後だったようです。
芸能界を引退したわけではなく、全国各地を仕事で訪問していたようですね。
ローカル番組の食レポや取材、街ブラロケ、講演会やイベントなども出演していたようです。
島崎俊郎さんは2003年1月放送のバラエティ番組『雲と波と少年と』の企画で、鹿児島県屋久島に家族を移住させる予定でした。
もともと田舎での暮らしに憧れを抱いており、家族会議の末に東京を離れ、屋久島に移住することになったのです。
しかし、屋久島便りの制作スタッフ3人が車で死傷事故を起こしてしまい、打ち切りとなっています。
そのため、移住はせずに、現在も東京で暮らしていました。
島崎俊郎といえばアダモちゃん
島崎俊郎さんは独特の風貌をした「アダモちゃん」で一世を風靡しましたね。
高知県出身で4人兄弟の末っ子として生まれ、小学4年生から京都へ引っ越し、18歳で上京します。
バッグ1つで新宿コマ劇場へ向かい、ハナ肇さんに志願して、クレイジーキャッツの付き人となりました。
1978年、クレイジーキャッツの付き人4人と川上泰生さんで、コントグループ「サンズンズ」を結成しました。
1979年には、川上泰生さん、小林すすさんとコントトリオ「ヒップアップ」を結成しました。
1980年には、『笑ってる場合ですよ』『君こそスターだ』で人気が急上昇し、翌年には、「オレたちひょうきん族」のレギュラーとなります。
その後、現在のアダモちゃんの前身であるマネー島崎が登場し、謎のアフリカ原住民「アダモステ」となり、人気が爆発しました。
2009年には、アダモちゃんの誕生25周年記念のDVDが発売されました。
平成生まれの人はあまり知らないと思いますが、「ホーッテ、ホッテホッテ、ホッテマカセ~」と歌い踊り、「○○みーっけ!」と、白いキスマークを付けるのが定番だったのです。
ビートたけしさんから、「ポリネシアン・ダンサーに似てるな」と言われたことがきっかけで、誕生したそうですよ。
毎回アドリブで、お茶の間の人気者でした。
現在でも、アダモステの姿でバラエティやステージショーに出演していたようです。
プライベートでは、良き夫で優しい父であった島崎俊郎さん。急逝は残念で仕方ないですね。
まとめ
今回は、島崎俊郎さんの死因が公表されない理由について、紹介しました。
島崎俊郎さんは急性心不全ということで、亡くなる前にインフルエンザにかかっており、その因果関係は分かっていないようです。
最近はテレビ出演はしていなかったものの、地方ロケなどを仕事はいろいろとしていたようですね。
ご冥福をお祈り申し上げます。最後までご覧いただき、ありがとうございました。