佐々木蔵之介さんといえば、さわやかでダンディないでたちと、たしかな演技力で人気の俳優さんですよね。
数々の映画やドラマに出演する一方で、その経歴や学歴についてはあまり知られていません。
今回は、佐々木蔵之介さんの学歴について、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。
佐々木蔵之介の小学校・中学校は?
佐々木蔵之介さんは、京都市にある私立ノートルダム学院小学校出身です。
京都では古くから名門小学校として知られており、キリスト教のおしえもあって英語が必須科目となっています。
小学校へは自宅からバスと電車で通っていたそうで、当時は幼い佐々木蔵之介さんにとって冒険だったそうですよ。
佐々木蔵之介さんは、両親と兄1人、本人、弟1人の5人家族として生まれ育ち、兄弟は全員この小学校出身です。
実家は「佐々木酒造」という明治26年に創業された老舗の酒蔵で、かなり裕福な家庭に生まれ育ちました。
主力商品である「古都」は、作家・川端康成さんが愛飲していたことでも知られています。
本来実家を継ぐのは佐々木蔵之介さんだったのですが、俳優になったことから、しぶしぶ弟の晃さんが4代目社長として跡を継いでいます。
ちなみに、長兄は「飲んでなくなってしまうものを作るのが嫌」と、東京大学に進んだ後、早々に建築の道で成功をおさめています。
佐々木さんは子供の頃から足が速く、小学2年生の頃からリレーの選手だったそうです。
成績も優秀で、学級委員長を務めるほどでしたが、あまり目立つタイプではなかったので、女子にモテなかったそうです。
佐々木蔵之介さんはぶどうが好物なのですが、母親の紀美江さんが山梨県出身であるのが影響しているそうですよ。
佐々木蔵之介さんの芸名は、父親が大石内蔵助とお酒の蔵をかけて名づけたそうですよ。センス抜群ですね!
小学校卒業後、佐々木蔵之介さんは京都市上京区立二条中学校に進学しました。
ノートルダム学院小学校の系列中学校は、女子校しかなかったので、この中学校に進学したそうです。
佐々木蔵之介の高校は洛南高校
佐々木蔵之介さんは、京都府にある洛南高校(偏差値60)に進学しました。
この高校は、私立の男子校で、現在は偏差値75とかなりの難関高校となっています。毎年京大や東大に多数の合格者を輩出しているそうですよ。
スポーツも盛んで、バスケットボール部やバレーボール部は、全国的な強豪校です。
佐々木蔵之介さんは一般受験で入学しています。当時はいまほど偏差値は高くなかったとしても、しっかり受験に合格しているあたりさすがですね。
また高校時代は部活に所属せず、帰宅部だったようですね。
佐々木蔵之介さんは高校時代もあまり目立つ存在ではなく、消極的で前に出るタイプではなかったそうです。
「京都の洛南高校という男子校に通っていたのですが、気が小さいというか、表に出るタイプではなかったですね。その頃を知っている人は、僕が舞台に立つなんてことは考えられないと思います」
うちドキ!
高校時代は何事にも無気力だったので、勉強にも身がはいらずに成績も落ち込み気味でした。
あまり遊んだ記憶もないそうですが、高校の規則で丸刈りにしなければならず、ずっとスポーツ刈りだったそうです。
さらに男子校ということで、女子とほとんど話をせずに彼女もできなかったそうです。
佐々木さんの実家は前述したように、老舗酒蔵佐々木酒造で、兄が建築家を志したことから、佐々木蔵之介さんは家業を継ぐことを意識しはじめます。
高校2年生のときには文系か理系に行くか選択するときがあり、母が「実家を継ぐという選択もある」と言ったため、「継いでもいいよ」と答えたそうです。
最初は漠然と経済学部を受験しようと思っていましたが、家業を継ぐことになってからは、農学部への進学を目指します。
佐々木蔵之介は東京農業大学に進学後神戸大学農学部へ
高校卒業後、佐々木蔵之介さんは東京農業大学農学部(偏差値52)に進学しています。
佐々木蔵之介さんは1年間浪人を経て、入学したようですね。
実家の佐々木酒造を継ぐために、大学では酒米やバイオテクノロジーの研究をしています。
しかし、佐々木蔵之介さんは東京農業大学に通学しながら、仮面浪人をしていたそうで、周りへの人へも心を閉ざしていたそうです。
翌年には神戸大学農学部に合格し、東京農業大学は中退することとなりました。
神戸大学を再受験したのは、兄が東京大学に進んだことも影響しているそうです。
兄は幼い頃から大変優秀で、佐々木蔵之介さんは少なからず劣等感を感じていました。
高校時代は成績もかなり下で、大学に入ってからも、もっとレベルの高い大学を受験しようと思い、予備校に通ったそうです。
神戸大学に編入し、オリエンテーションの日に、高校時代の同級生に再会し、演劇研究会「はちの巣座」の新入生歓迎公演会に誘われます。
演劇サークルで学生たちが自由に遊んでいる様子を見て、「これからこんな自由な学生生活ができるんだ!」と衝撃をうけます。
実際に舞台にたつことで、だんだん認められたような感覚をおぼえます。
観客に拍手してもらったり、笑ってもらえることに、達成感を感じたのですね。
高校まで部活にも所属していませんでしたから、演劇研究会での活動が、非常に楽しく感じました。
大学時代は演劇サークルに打ち込み、アルバイトをしながら充実した日々を送っていたそうです。
そして、22歳のときには、「はちの巣座」から派生した劇団「惑星ピスタチオ」に入ります。
「演劇サークルに入団し、2年生の時に、劇団「惑星ピスタチオ」の旗揚げに参加しました。僕は当時ネタで「演劇人と格闘家の二足のわらじを履いている」と言って『格闘家通信』なんていう劇団新聞を作って、僕がアンディ・フグと闘っている写真を掲載したりしてました。もちろん合成ですけど(笑)」
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演劇にひたすら熱中していたため、あまり大学にはまじめに通っていなかったそうです。
就職活動はしたものの、あまりうまくいかず、落ちたときに人間性や自分を否定されたような錯覚に陥り、とてもしんどかったそうです。
それでも何とか大学は卒業し、大手広告代理店・博報堂の子会社である大広に就職します。
就職後も劇団活動をおこないつつ、広告代理店で新聞やラジオなどで宣伝する方法を学んでいました。
「学生の時に劇団をやっていて、芝居は作るだけでなく、どうPRするかも大事なんだなと思ったんです。お客さんが入らないと成り立たないですから。
それは家業を継いだときも同じなんだろうなと。お酒をどう売っていくのかっていう。商社も考えましたけれど、広告代理店なら、ラジオやテレビ、いろいろなメディアを勉強できると思ったんです」
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たまたま大阪本社に配属されたこともあって、休みの日に劇団をなんとなく続けていたそうです。
しかし、入社して2年半後、会社を退職して俳優の道を志します。演劇とその仲間との関係を、終わらせたくないと思ったようです。
今までの人生で唯一長く続けられたことで、唯一の“夢中になれる遊び”で、自分を表現できる場所だったのですね。
また、会社の同期にはますだおかださんの増田英彦さんがいたそうで、既に芸能活動をしていた増田さんに会社を辞める際に相談したそうですよ。
実家の後継ぎだったことから、最初は家族に猛反対されました。
将来への展望もなく、実家を継ぐこともやめたため、家族は「何考えてるの?」とかんかんだったようです。
しかし、32歳だった2000年に出演したNHKの朝ドラ「オードリー」を見た際は、役者として認めてもらったそうですよ。
その結果、実家の佐々木酒造では、日本酒の「オードリー」を発売しています。
この「オードリー」は、創業以来の大ヒット商品となり、父親とも和解できたそうです。
「私が広告代理店時代のノウハウを生かしてパッケージを考え、番組のポスターと一緒に酒販店に持っていきました。
放送がお歳暮の時期と重なったこともあり、創業以来の大ヒット商品になりました。それで和解。売り上げに貢献したからなんです(笑)」
VOCE
それ以降は、話題の連続ドラマや映画に次々と起用され、一気に人気俳優の階段をかけあがありました。
まとめ
今回は、佐々木蔵之介さんの学歴について、紹介しました。
佐々木酒造の次男として誕生し、小学校から私立に通うなど、かなり裕福な家庭で育ったようですね。
編入して入った神戸大学時代に演劇に出会ったことで、現在の俳優としての佐々木蔵之介さんが誕生したのですね。
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。