華道界で注目の若手プリンスと言われている、池坊専宗(いけのぼう せんしゅう)さん。
由緒正しき華道の家元に生まれながら、大学時代は文転したという異色の経歴を持っています。
今回は、池坊専宗さんの学歴や経歴について、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。
池坊専宗の学歴
華道界で注目の存在となっている、池坊専宗さん。
華道家元池坊の四十五世家元・池坊専永さんの孫で、次期家元の池坊専好さんを母に持ちます。
中学高校では、ずっと野球に打ち込んでおり、「皆さんが思っているよりは、家業を強く意識することはなかった」と振り返っています。
学校から帰ると、すぐに同級生と鴨川河川敷に集まり、ずっと野球に明け暮れていたそうです。
その間、花を生けることは、好きでも嫌いでもなかったといいます。
京都教育大学附属高等学校時代は、理系で数学を専攻していました。生け花とは対極ですね!
当時は数学者ブームもあったので、数学の研究者を志し、慶應大学理工学部へ入学します。
しかし、数学は良くも悪くも地味で堅実な学問だったことから、すぐに『これはちょっと難しいな』と気付いたそうです。
そこで文転を決意し、独学で勉強して、東京大学法学部に編入しました。
「東大には後期試験で入りました。小論文と、数学と理科の複合科目と、英語でした。結局、数学がうまくできて受かったんです。慶応大では単位を取る目的もあって数学を粘って勉強していました。これが結果的に東大入試に効いたんです。世の中、どこで何が役に立つか分からないし、無駄なことはないと実感しました」
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東京大学卒業時には、成績優秀者に送られる「卓越」を受賞します。
東大では法哲学を学び、数字では割り切れない「人」という存在に、非常に興味が湧いたそうです。
官僚や弁護士を目指そうと考えたこともありましたが、先祖代々受け継いでいる「生け花」の道を目指すことになりました。
池坊専宗の経歴
東大卒業後は、“昭和のおじいちゃん先生”に鍛えられました。
気難しい先生だったそうで、最初は面食らったものの、情に厚く、先生を通して、いろいろなことを学んだそうです。
彼と稽古をするのは密室の空間で、朝から晩まで草木を除けば二人きりで長い時間を過ごす。スケジュールを無視して何時になろうとも稽古が終わらないことはよくあったし、途中まで生けていた花をすべて抜かれたこともあった。最終的に自分の花が跡形もなくなった時は笑ってしまったが、彼は嘘を付けない人なのだ。
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先生と出会ってからは、花を生けることを信じるようになり、生け花を通じてたくさんの出会いがあったそうです。
同時に、写真をおさめるようにもなりました。
最初は、生け花が枯れる前に記録しようと撮り始めたのですが、だんだん人間性が写真に乗ることに気付いたと言います。
その後、東京日本橋三越本店・京都高島屋などで多数の生け花を出瓶し、写真家としては京都現代写真作家展新鋭賞を受賞しています。
ほかにも、「いけばなの補助線」などの講演や、デモンストレーションをおこない、メディアにも出演しています。
名家を代表する祖父と母とは、意外にも緩い関係で、生け花について強制されたことは無いそうです。
家族であっても、花の形は人それぞれだそうですよ。
「祖父は、私から見ても逆に新しいと言いますか、若い感覚で花を生けています。母はより華やかな表現です。私は渋い花が好きなもので、どうも“じじくさい”花を生けることで有名になっていて、祖父からはたまに、『あまりじじくさい花じゃない方がいい』と言われます(笑)。」
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また現在、華道教室ではなを教えている、池坊専宗さん。
学生からご年配まで、幅広い年齢層の生徒がいるそうですよ。
後継ぎとしての心構えもあり、「池坊」を信じる人々に、生け花を好きになってもらえるよう、自分自身の活動も広げて活動していきたいと語っています。
まとめ
今回は、池坊専宗さんの学歴や経歴について、紹介しました!
池坊専宗さんは華道の家元・池坊家を継ぐ者として、現在は華道家や写真家として活動しています。
慶應大学理工学部から東京大学法学部へ文転するという異色の経歴を持ち、その多才っぷりが話題になっています。
今後の情報にも注目ですね。最後までお読みいただき、ありがとうございました。