東山紀之さんが、「サンデーLIVE!!」の生出演で、故・ジャニー喜多川氏の性加害問題について、初めて言及しました。
ジャニーズ最年長の東山紀之さんですが、実はその生い立ちが壮絶だったようで、自身の著書でも明かしているのです。
今回は、東山紀之さんの生い立ちについて、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。
東山紀之の生い立ちが壮絶すぎる!
東山紀之さんは、雑誌「週刊朝日」の連載「これまでと、これからと」と、エッセイ「カワサキ・キッド」の中で、生い立ちについて語っています。
父はロシア人クオーター
東山紀之さんは、両親と妹の4人家族で育ちました。
父方の祖父がロシア人とのハーフで、父親がロシア人のクオーターだったので、東山紀之さんは8分の1、ロシアの血が流れているようです。
東山紀之さんの整った顔立ちは、外国の血が流れていることも関係しているようですね。
実家は神奈川県川崎市で、堀之内町周辺の父方の祖父母の家に暮らしていたそうです。
父親は酒とギャンブルにおぼれ、借金取りに追われる毎日を過ごしていました。
1歳のときには、母親が玄関で借金取りに土下座をして、畳には包丁が突き刺さっている場面を見たそうです。
その映像は、今も脳裏に焼き付いているといいます。
母は、借金取りに毎日のように土下座しており、ある日父親にも土下座して、「お願いですから、別れてください」と言います。
そして、まだ3歳の東山紀之さんと妹を連れて、家を出て、離婚しました。
その後、お母さんは再婚をします。
足のやけど
東山紀之さんが生後8ヶ月の頃に、祖父がが酔っ払って暴れ、熱湯が入ったポットをひっくり返してしまいました。
そして、東山紀之さんの両足にかかり、大やけどを負ってしまったのです。
これが原因で、東山紀之さんの左足は、変形してしまったそうです。
足をかばうようにして生活していると、体のバランスが崩れ、軟骨に痛みが生じるようになってしまいます。
東山紀之さんのストイックな体作りは、足に負担をかけないようにするためという意図もあったようです。
母の再婚相手からの暴力
東山紀之さん一家は、川崎のコリアンタウンで新たな生活をスタートします。
在日朝鮮人が住んでいる、離れのような部屋だったそうです。
母は再婚するも、再婚相手は暴力をふるうDV男でした。トラックの運転手で、たくましい太い腕をしていたそうです。
最初は優しかったのですが、だんだんしつけと言って、東山紀之さんたちを殴るようになります。
再婚して一年後には、お酒の量も増えて、酔っては理由もなく殴られるようになったそうです。
妹も母親も容赦なく殴られ、毎日泣いていました。
それでも母親は、なんとか家庭を維持しようとして、東山紀之さんに「おまえが悪い」と責めたそうです。
結局、東山紀之さんが25歳の時に、母親は再婚相手と離婚しています。
東山紀之は貧困生活で困窮していた
母親は理容室に勤めていましたが、生活はかなり苦しかったそうです。
コリアンタウンの部屋は、お風呂もないようなアパートで、周りは同じような境遇の家庭が多かったそうです。
食べるものも足りず、いつも妹とお腹を空かせていました。
近所の焼肉店の韓国人親子が、お店であまった豚足などを分けてくれたので、なんとか飢えをしのぐことができました。
遊ぶお金もなく、もらった銭湯代はゲームセンターでスペースインベーダーをやり、学校のプールに忍び込んでは体を洗っていたそうです。
そんな母親はしつけに厳しかったそうで、ビンタされたり、靴べらで叩かれたこともあったとか。
10歳のときに、欲しいおもちゃがあったので、母親の財布からお金を盗ったら、すぐにバレたそうです。
すると母が、「あんたは知能犯だから、将来、絶対だめになる」と諭してきたそうです。
そこで東山紀之さんは改心し、これまで以上に母親の手伝いをするようになりました。
そんな母は、バブルの末期、自分の店を開こうとしたり、子供の将来のためにマンションをいくつか買っていました。
しかし、バブルが崩壊して借金が残り、東山紀之さんが7、8年かけて返済したそうです。
在日朝鮮人への差別
東山紀之さんと母、妹の3人で、神奈川県川崎市のコリアタウンに住んでいたときは、在日韓国・朝鮮人の方たちが多く暮らしていました。
在日朝鮮人は今でも差別されることが多いですが、東山紀之さんは幼少期から朝鮮人と交流があったので、差別に違和感を感じていました。
今の東山紀之さんがいるのは、コリアタウンの人達との助け合いがあったからともいえます。
そのため、東山紀之さんは、「人は差別するときの顔が最も醜い」と、差別問題に対する持論を述べています。
東山紀之がジャニーズになったきっかけは?
東山紀之さんは、小学校6年生の時に、ジャニーズ事務所に入っています。
母親が、渋谷のNHK職員用の美容室で働いていたので、そのつてで、歌番組「レッツゴーヤング」の公開収録のチケットを入手したのです。
そこで、東山紀之さんは、川崎から渋谷まで観覧に向かいました。
渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていると、たまたま通りかかったジャニー喜多川さんに見初められます。
東山紀之さんは、当時身長150センチ足らずしかなく、丸刈り頭でジャージ姿だったのですが、さすがジャニー喜多川さん。よく見つけましたよね。
東山紀之さんは、ジャニー喜多川さんの名刺を受け取りましたが、芸能界には興味がなかったので、断るつもりでした。
しかし、失礼になるので、食事だけはすることになり、母と妹と車で横浜の中華街に行くことになりました。
ところが、妹が気分が悪くなり、ジャニー喜多川さんの高級外車で吐いてしまいます。
その後、ジャニー喜多川さんを自宅に招き、お寿司を食べて、芸能界入りをお断りしました。
そして、車を汚してしまったお詫びに、菓子折りを持って、ジャニーズ事務所へ行ったのです。
お詫びだけで帰るつもりだったのですが、レッスンの見学に誘われたので、試しに踊ってみました。
すると、全く体が動かず、これまでにない挫折を味わい、「ステップができるまで」という期限つき入所となりました。
しかし、ジャニーズ事務所で出される豪華な食事などに釣られて、その後もレッスンに通い続けたそうです。
これをきっかけにジャニーズ事務所に入り、高校進学時は合宿所生活をスタートさせました。
しかし、母と妹を家に残してきたことは、ずっと心に残っていました。
キレッキレなダンスに定評のある東山紀之さんは、今でも毎日筋トレを欠かさず、1日に腹筋1000回、20年以上継続しています。
現在アラ還に差し掛かっていますが、年齢を感じさせないかっこよさですよね。
まとめ
今回は、東山紀之さんの生い立ちについて、紹介しました!
父が酒と借金まみれで、離婚後は母子家庭で育ち、かなり生活が苦しかったという、東山紀之さん。
再婚相手から暴力を受けることもあり、幼少期はとてもつらい思いをしてきたようですね。
今後の情報にも注目ですね。最後までお読みいただき、ありがとうございました。