自民党の高市早苗氏の家族について調査しました。
元夫・山本拓氏との気になる離婚理由や、馴れ初めについてもお伝えします。
日本初の女性総理を目指す高市早苗さんの元夫とは?
高市早苗の家族構成は?
高市早苗さんは、2004年9月に結婚し、2017年7月19日に離婚しています。
そして、2021年に同じ山本拓さんと再婚しています。
- 元夫・山本拓
- 長女・涼子
- 長男・山本健
- 次女・杏子
山本拓さんは、高市早苗さんとは再婚で、3人の子供は山本拓さんの連れ子でした。
高市早苗の夫は山本拓
- 名前:山本拓(やまもと たく)
- 生年月日:1952年7月7日
- 出身:福井県鯖江市
- 学歴:法政大学
- 自民党衆議院議員(8期)
- 農林水産副大臣、福井県議会議員などを歴任
高市早苗と山本拓の馴れ初めは
高市早苗さんと山本拓さんは1994年に7名で自由党を結党し、同年に新進党に合流した頃からの同僚議員として面識がありました。
その後1996年に自民党に入党した後も同じ清和会(森派)に所属しています。
高市早苗さんは、「割と無愛想な人で、どちらかと言えば苦手な相手」と言う印象を持ち、山本拓さんも「性格きつそうな女性だなあ」と、お互い良い印象は持っていなかったと言います。
そんな中、2003年11月に高市早苗さんが第43回衆議院議員総選挙の奈良一区で落選し、比例代表での復活当選もなりませんでした。
高市早苗さんのお母さんは、落選翌日には「ちょうど良いチャンスだから、落選中に結婚相手を見付けてよ」などと明るく言ってくれたそうですが、良い話が降って湧いてくることもなく、半分は諦めていたそうです。
そんな時、落選後に電話をくれた山本拓さんに対し、「山本さんは意外に親切な人だなあ」と感じるようになったそう。
僕も落選経験が有るので、落選直後の大変さは分かります。短期間で国会事務所の撤収や秘書の再就職先探しもしなければならないのでしょうから、力になれることが有れば遠慮なく言って下さい
そして、高市早苗さんの秘書として働いていた弟さんと、FAXを引き取ってくれたのが山本拓さんだったそう。そんなことで、苦手だった元同僚議員の山本拓さんに親しみを感じるようになっていったそうです。
次に高市早苗さんと山本拓さんが会ったのは2004年5月下旬のこと。経済人の方と意見交換する場に同席していたそうです。
企業役員の方々から「今のうちに高市さんに結婚相手を見つけてあげなければなりませんね」という話が出て、高市さんも「ちょうど結婚を前向きに検討したくなっていたところですので、御社の社員さんで良い方が居られたらお世話して下さいね」とお願いをして盛り上がったそうです。
山本拓からのプロポーズ
山本拓さんは、会話には参加していなかったものの、耳をダンボにして聞いていたそうで、6月初旬に電話がかかってきたそうです。
真剣に結婚相手を探しておられるんでしたら、僕もバツイチですので、立候補しますよ
高市さんは、突然の意外な話にびっくりしながら、しどろもどろで応対して電話を切ったそう。
弟や事務機器を引き取ってもらった上に、次は自分を引き取ってもらえるのか・・と思うと、可笑しくなってしまいましたが、誰かからプロポーズされるなんて長年無かったことでしたので、やはり嬉しかった
と、語っています。そして、
前向きに結婚を望んで入るタイミングでこんなお話をいただいたのも、貴重なご縁かな
と1週間後にOKの返事をしたそう。
その後、高市早苗さんは勤めていた近畿大学の前期試験への対応や参院選の応援活動で忙しくなってしまい、山本代議士の方も、福井県で発生した水害の甚大な被害への対策に追われ、話はそのままになってしまっていました。
9月になって電話とメールのやりとりで入籍に向けた段取りを進めていったそうです。
2004年9月に結婚
2004年9月23日に、高市早苗さんは自身のホームページで結婚の報告をしています。
43歳の私にも、やっと奇特な「引き取り手」が現れ、この度、結婚致しました。
既に一部で報道されたようで、昨夜から全国各地の沢山の皆様よりお祝いのメールを賜り、心から感謝申し上げております。ちょっぴり照れながらも、皆様のお気持ちが嬉しくて、1人で喜んでおります。本当に有難うございました!
そして、2004年11月に結婚披露宴を行いました。
結婚した時、高市早苗さんは43歳で山本拓さんは52歳でした。
子どもの頃から夢見ていたような「運命的な出会い → 熱烈な恋愛 → 婚約 → 結婚式→ 新婚旅行 → 甘い新婚生活」といったパターンではなくて、短期間で話が進んでしまったことや、
婚姻届の受領証を夫から貰って、「高市早苗」から「山本早苗」に変わったんだなあ・・と、じわじわ嬉しくなってきているところだと明かしています。
また、2004年5月末までは、自分が今年結婚できるとは夢にも思っていなかったとも綴っています。
高市早苗と山本拓の離婚の原因は、政治的立場の違い?
高市早苗さんと山本拓さんが離婚したのは2013年7月19日の事でした。
主人の我慢の風船が破裂したのでしょう……。とにかく私が至らなくて、鈍感だったということです
高市早苗さんは、浪人中に結婚した後、2005年に政界復帰を果たしました。
その後は、内閣府特命担当相を皮切りに、自民党政調会長、総務相を歴任。
農水副大臣を経験したのみの山本拓さんとはキャリアの差がくっきり出てしまいました。
もう2週間くらい経ちますかね。2人で暮らしている議員宿舎で夕食が終わり、主人がテレビを見ている横で、私が洗濯機を回したり、アイロンをかけていたりしたところ、突然、切り出されたんです。
“ずっと我慢してきた”って。自民党が都議選に負けた後、党内で色々と意見が飛び交っていた頃合いでしたね。そんなときでも、私が3年近く閣内にいるため、言いたいことも言えなかったようなんです。“勉強会を立ち上げるのも我慢したし、政策を考えても言えなかった”って
我慢してきた事を、打ち明けた山本拓さん。そして、話の流れで離婚に至ったそうです。
話の流れの中で“夫婦じゃなくなったら、あなたはもっと楽になれるんだよね”って、私の方から先に言っちゃったのかな……。それで、主人はドライですから、そのまま離婚届に判を押すことになったんです
政治家同士ゆえ、立場上の悩みもあったそうです。
2012年の総裁選のときは辛かったですね。私は安倍さんを、主人は石破茂さんを応援した。
総裁選は戦いですから、家の中でも相手陣営に情報が漏れないよう注意しなければならなかった。主人に携帯を見られないようお風呂場まで持っていったりしてね。その時期は、夫婦でほとんど会話もできず、しんどかった
しかし、高市早苗さんは離婚の2ヵ月前には、全くそんなことになるとは思ってもいなかったようです。
義理の母が昨年11月に亡くなり、5月に納骨式がありました。
そのとき“あぁ、私もこのお墓に入るんだな”なんて思っていたんです
高市早苗さんは、離婚の原因は、主人に嫌な思いをさせていた私にある。なんだか未練がましいですが、今はとても残念な思いでいっぱいです。と明かしています。
高市早苗の夫・山本拓の現在は?
山本拓さんは、離婚して4年後に高市早苗さんが総裁選出馬の意向を表明した後、いち早く「高市支持」を表明しています。
離婚しても、高市早苗さんを支持する姿に、好感が持てました。
そして、2021年には山本拓さんが衆院選で落選した為、政治的しがらみがなくなり再婚に至っています。
その際、山本拓さんは高市姓に変更した事が、長男の山本健さんの証言でわかりました。
(小誌記者に聞かれたので)父に今電話したところ、高市拓になったそうです
文春オンライン
第一線で活躍する高市早苗さんにとって、山本拓さんの支えは心強いでしょうね!